とことん!ルパンⅢ世「誕生秘話」レビュー

7月に放送されたBS「とことん!ルパンⅢ世」

ずい分遅くなってしまいましたが、「アニメのルパンⅢ世」誕生にまつわる回をレビューしたいと思います。

1stシリーズ全話放送やop/ed、人気シリーズ投票など盛りだくさんの内容でしたが、リモコンの調子が悪く、おなじみの「アニメ夜話」の回がどーしても録画できませんでした(泣) 
相当古いデッキですから~(一応平成生まれ)。

さて、安定したこの大人気アニメが放映開始は記録に残る低視聴率、演出家の交代劇があったなんて知りませんでした。

私の場合は圧倒的に記憶に残るのは”2ndシリーズ”なんですが、この混乱のうちに終わった”1stシリーズをじっくり観てみたいと思いました。
(1stシリーズも同時放送も現時点未見)


アニメ版ルパンを生み出し、このスッタモンダ?を経験した、


原作者 : モンキー・パンチ さん (以下:モ)

アニメ演出家(1st途中まで) : おおすみ正秋 さん (以下:お)

元・TVプロデューサー : 佐野寿七 さん (以下:佐)

作画監督 : 大塚康生 さん (以下:大)


が、誕生を語られています。


まとめず、ほとんどそのままを書いていますが、完全書き起こしではないのでご了承を。。。
(長いロムになるかと思います・・・)


途中降板の演出家のおおすみさんが、”ルパン”についてTV初のインタビュー(独占!激白!?)らしいので、これは貴重ですね。



             ☆:::::::::::::::::::::::::::::::☆


 
「とことんルパンⅢ世 ~ルパンⅢ世・誕生秘話~



ルパン3世は世界中にファンを持つ人気アニメ。放送開始は1971年。

しかしこの1stシリーズは視聴率が悪く打ち切りとなり、失敗作の烙印を押される。


お: 『(打ち切りに対し)もういいです、と現場にそれから一度も足を入れなかった。私物も全部残したままで―――。』







――ルパン誕生は1967年、週刊漫画誌創刊の関東を飾った。

>(雑誌名は”アクション”です。るぱんのこのカット、平井堅<のもみ上げ>に似ている!)

熱心なアニメ化にで一番熱心だったのがオバQなどで知られる「東京ムービー」。
大人のためのアニメという新たなジャンルを探していた。

東京ムービーのプロデューサーの藤岡豊がモンキー・パンチを説得。

モ: 「当時のアニメはマンガを原作にしたものがあったけど、マンガの方が面白かったんですよね。印刷されたものの方が動いて見えた。ヘタに(アニメ化して)失敗したら(原作の人気も)おじゃんになっちゃうからアニメにしないほうがいいですよ、と出版社に言ったんです」

――藤岡は、アニメ・ルパンの「パイロット版」を作成し、ギャグマンガか子供向けしかなかったアニメに当時に、新鮮な魅力溢れるものだった。

>(パイロット版が流れているんですけど、ルパンの声優さんが違いますね!)


モ: 「今でも覚えているンだけど、(パイロット版に)1枚1枚シルエットが出てくるんだけど、それ観たときに背筋が寒くなった。オーッて思いました。こういう表現の仕方でやったのかって、アニメーションを見直しましたね。で、もうその時は断りませんでしたね、ぜひこっちからもしてください!!って感じだったですね」

原作者のオーケーが出て企画が本格的に!

藤岡が演出を任せたのは人形劇出身という異色の経歴をもつおおすみ。34歳だった。

お: 「これ大人ものですよ。大人ものとしてやるしかもう、子供用に脚色は絶対出来ませんよ、大人もののままでいいなら・・・と引き受けた。すると藤岡さんが、”大人向けの路線を開拓したい、ゴールデンにどうだろうか、いい素材だと思う”と。いいですね、年齢の制限がなければやりますよ・・・でも、内心本当にやれるかなと思いながら、まあ、おまかせください的な(感じ)」

作画監督は大塚康生。
映画『太陽の王子ホルスの大冒険』を終えたばかりで乗りに乗っていた。

大: 「自分の好きなものが出てくる。拳銃とかね、そういう要素があったので遊べるなあ、という感じはあった。藤岡さんというのは面白い人で、アニメも子供向けばっかりじゃないだろうと、18~9歳を狙った青年マンガ、つまりそのガキものばっかりじゃ仕方ない、挑戦というものがあった」

ただし、ルパンの売り込みは厳しいものがあった。アニメは子供のものという概念で受け入れがたい企画だった。

お: 「他の仕事もしてて、TV局の編成なんかに行って苦労して作った企画書なんかがくるっと巻いて捨ててあったりしてショックだったです。あれはないだろうな。営業は大変だっただろうと(と思う)。大人の時間帯にアニメなんて世界では無かったから、今でも無いんですけど、だから大変な事をしようとしてるんだから、どこ決まった!<TV局のこと?>なんていう問題じゃないだろうと。ダメだった、という結論が出るのも充分に覚悟していた」

――パイロット版作成から二年。「巨人の星」、「タイガーマスク」などヒットした大阪のTV局がルパンに興味を示した。

元よみうりテレビチーフプロデューサー 佐野寿七。

佐: 「15分のパイロットフィルムにしてはものすごく素晴らしい。スピードがあるアクションがある、調子のいい音楽、作品がよく出来ている。その頃のアニメと完成度が全く違ってたんですよね。そういう意味でこれやろうや!ということになっちゃったんですよ」

こうしてルパン3世のTVシリーズ化が決定。
10月24日7時半記念すべき第一回目の放送が始まった。


                  ☆


おおすみの演出方法のメモ。スタッフに二つの方向のメモを見せた。

「道具実証主義」= 本物の迫力を出すためにリアリティを追求

お: 「出てくる車などは本物を出そうと。ちょっとした思い付きだったんですけど、大塚さんが実にそのことに関して造詣が深くて、乗り物関係、武器兵器。大塚さんが乗った!って感じでどんどん提案してくるので、ルパンの作業の中でもっとも楽しい作業だった。
決めるのにルパンや次元にはなにを持たせればいいのかって、全部キャラと一致している。プロだからリボルバー(回転式拳銃)を使い、オートマチックは使わないとかねとか、ルパンのワルサーなんていうのもルパンの持つスマートさと照準の確かさならぴったりだなと。そういうことで車はなにを乗せるかとか。
エクスキャリバーというクラシックを模したスーパーカーなんですけどこれを愛車にしようと決まってたんですけど、その資料がなくて大変だったんです。
どっから見つけたのか判らなかったけど、夜中大塚さんから電話が架かってきて、”見つけたよ!日本に二台しかないの一台をどこにあるか見つけたよ!”って。新宿の厚生年金会館のちょっと横に工事中の空き地があって塀がめぐらされているけど、隙間から見えるといって、当時、住んでいた青山からすぐにタクシーに乗って。
仕事熱心に聞こえますけど、すごくノッてたんです。時計なんかも今だったら情報があるけど、助監督が銀座に行き、開店に飛び込んで胡散臭い目で見られながらカタログもらって来て、あ~、こういうの扱いをするのかって。最も楽しい作業でしたね。
2話にパイカルが乗ってくる“メスカシュミット”(車)なんですけど、あんな車、普通の人知らないですよね。でも、これどうだろう、って乗っけてみたら似合うんですよ、あのキャラクターに。常に新しいことを見つけてくるというなら、普通のオタク作業ですけど、キャラクターと結び付けてく作業という演出として楽しかった。それをセリフの中でもそれ(品名?)を入れる。
当時、大藪春彦さんの小説に能書きが出てくるんですけど、それが快感だったからわざと、“このワルサーは”とか言わせたり」


大: 「現実に出てくる車や小道具凝っていいよ、というプロデューサーはいませんからね。大はしゃぎでどんどん細かくして。でも、アニメーターがついてこれるかなという心配はありました。
アニメは複雑な絵を描くと枚数がかけないんですよ。複雑なほど手間がかかり動かないんですよ。
逆のコースを行くって感じであのベンツ(SSK)なんか大変ですからね。車が上手に描けるアニメーターっていうのはめったにいないです。挑戦だと思って出してみたんですけど案の定大変だった」


                   ☆



おおすみの出したもうひとつの演出

「しらけた時代」=表情に時代の気分を反映させること

お: 「アンニュイな感じ。大塚さんが一番乗ってくれて、政治なんかどこへいくか分からないって、そういう風潮の中で、原作にあるかどうかは別として(雰囲気を?)引っ張り出せるということは確かだったし、泥棒するのも豊かになるためにではなく、退屈しのぎだよ、というそういう視点は忘れないでやった方がいいだろうと。
アニメータ全員に言えることだけど、日本人だから緊張ポーズに弱いんですよ。西部劇なんて拳銃抜く直前までダラ~ッとして、そっちの方がルパンなんですよ。ルパンがぎりぎりアクション起こすまでの直前までいかに力をいかに抜くかということをマスター出来ないとルパンの世界が描けない。
今までも例がなくて、あくまでも長時間に耐えられるポーズっていうのは無かったわけですよ。それを”ルパン”でリラックスしているけど動かなくってもいいポーズっていうのを作る・・・という必要があって、アニメ界全体もそういうのを作るっていう必然性がなかったのでそれをマスターしてもらう・・・人間が止まってて大丈夫な姿勢を色々観察してもらう・・・。
終電辺りのプラットホームの向かい側の人達は疲れてて止まっているんですよ。止まっているンだけど、同じポーズじゃなくて競馬新聞読んだり、ポケットしている。
具体的には、ルパンはレーシングカーに乗っている直前まで芝生にダラッとしていて、本当は(レース前で)緊張が始まっているんですけど、力を抜けきった人間がある時、動作をした方がプロという感じがいいだろうと”リラックス”させた」


こうした背景には大塚たち若者が熱狂した映画があった。
(「さらば友よ」1955フランス 煮立ちのアウトローのハードボイルドな友情を描いた作品)

大: 「廊下でチャールスブロンソンのハマキを受けるシーンでシビれたわけですけど、あれがルパンと次元の関係として一番理想的だな、と。
どのキャラも時代の空気を意識して作った。セリフにおけるチェックは相当。
原作が衝撃を与えて、アニメに移し変えて普通のアニメになっちゃったらアニメとしても新しさと衝撃を与えなくては、(でも)出来るのでは、と確信を持っていた」



                   ☆


当時、TVアニメの普通に20%を越える全盛期。
ところが、”ルパン”の視聴率は散々なもので初回は僅か6%。そのあとも一桁台が続く。
佐野プロデューサーも「巨人の星」や「タイガーマスク」で30%を出したヒットメーカーだった。

佐: 「本当にもう肩寄せ合って、YTBの記録に残る低視聴率だった」

モ: 「とにかく中学生以下は度外視しようと言ってましたからね。だから、その辺がひとつの原因かと」


大: 「大人向、ということで主婦に拒否反応があった。あんなエッチなものみるんじゃないよ、というね。そういうことがあった」


――3話を終わって藤岡とおおすみが大阪の編成担当から呼び出される。


お: 「視聴率が低いということで、それまでノリに乗っていた発注者側がショックを受けた。TVは放って置くことができないので、これはダメだ、子供のわかる話にしなくちゃいけないと。
プロデューサー<日本ムービーかTVかどちらかのかは不明?>が方向転換するとは一度もなかったから、そういうことを言われているよ、といわれて。
大阪に連れて行かれてわっと取り巻かれて・・・(今や)これを証言できる人は殆どいないから、僕の言いたい放題になるのはイヤなんだけど、藤岡プロデューサーと僕だけ行って・・・プロデューサーは僕にちゃんと説明してくれなかったですね。
”もうちょっとやったら・・・”という期待を持たせて、ボクが行かない(というのを避けようと)思ったんでしょう。
TV局の前で、“大変なことになるけど私たちはおおすみさんの味方だから信用して”みたいなことで力づけてくれるけど、僕は初めから大人向けに作っていますよ、と正直に話したら、(周囲が)え?え?と混乱がおこっちゃって。
結果としてどうなりますか?と発注者側は聞いてくるが、プロデューサーは誠心誠意を持って、色々変えてというが、ボクはもういままで通りしかやれませんね、開き直りでもなんでもなくて、子供向けのルパンなんて想像できなかったんですよ。
推察ですが、プロデューサーも僕も平身低頭で視聴率の低さを謝り、心入れ替えてお遊びやめて、子供向けに作り直します、ってシャンシャン、どっか食べに行く、っていうこと(を想定)だったんですけど・・・今(現在)は、分別あるからやったかもしれないけど、やっぱりちょっとそうはいかなかった。
プロデューサーは立場上、そういう態度をとっていたというのはひしひし感じていたが、正直やれないし、”そういうことなら僕はやめさせてもらいます”と、”まったくそういうこと考えられません”と。
一部の業界で、”おおすみが机を叩いて怒鳴った”ということになっていますが・・・記憶無いんですが、やっぱり切れてたことは確かですね。いまさら、みんなでやったのに何だ!!って感じ」


”ルパン”を今まで誰も観たことのないアニメにしようと挑戦してきたおおすみ。
だが、視聴率という壁は視聴率という壁は大きかった。

お: 「視聴率が確実に低いというところが問題なのに、僕が視聴率の低さを気にしていなかったというのが大きなズレがあるんです。
大人向けに作ろうと決めたのになんで子供向けに作り直すんだ、子供向けにしたら視聴率が上がるんですか、みたいなことまで言ったような気がしますね。
最後の帰りにプロデューサーに”僕は降りますよ”と、(そしたら)プロデューサーは”ダメか、他の人を立てなくちゃダメか”と。ただ、”キミのための花道は作ってあげられないよ”というのが非常に印象的でしたね。確かに花道を歩いて退場するということはムリですよ。視聴率が低くて、ボク場責任を取る、という形ですね。
引継ぎだ、なんだ、という混乱を残したくないとプロデューサーが言って、それを境に現場に足を踏み入れてないです。スポン、と消えちゃったんです。机に私物を残したまま。
本当にスタッフには迷惑かけたと思いますね。嫌な重いさせたな、と。(スタッフの中には)電話かけて来て、”おおすみさんがやめるならボクも辞めますよ”と言ったんですけど、全部冷たくつっぱなしました。花道作らなくていいよって。自分の精神状態を保つのに精一杯でした。
だから、自分の問題だけで辞めちゃいましたけど――、かったせいもあって、時間が経ってくると――TVでこういうこと話すの初めてですけど、雑誌の取材も10年間くらいは露骨に断ってました。”ルパン”という言葉を聞くのもイヤだ、という。
”あと引き継ぐやつなんているのか、なんで引き受けたんだ!”って思うけど、今になって引き継いだ人は本当に大変だっただろうなと。でも、僕はそこには思いが至ってませんでしたね。
(今は)視聴者も含めて、あそこでケツ割ったってことは申し訳ないことしたなあ、そういう思いで一杯です。今、カメラ目線で特定の人に謝りたい思いでいっぱいです。
でも申し訳ないといいつつ、新しい人が作ったルパンはまず観てないですね。観る心の余裕がなかったです。
雑誌の記者知らない人は、”峰不二子はおおすみさんの理想の女性像でしょうか?”なんて、電話口で怒鳴りはしなかったけど、怒鳴るくらいに拒否した記憶は残っています。それまで触れたくない・・・」


――こうしておおすみは現場を去り、ルパンは子供向けへの路線を変更が決まる。

一方、大塚は現場に残り、作画監督を続ける。
おおすみのあとを引き継いだのは、長編アニメの宮崎駿と高畑勲。二人は特命を条件に演出を引き受けた。

大: 「方向転換の大命令をだしたが、思いつかないわけですよ。宮崎さんが”なんとかシナリオを子供向けに変えて欲しい”としぶしぶ斜めに見てたんだけど、じゃあ、やるかって。
かなりコンテを直したり、作画など直せないものはそのままにして、どんどん直そうということで、どんどん明るくして、子供っぽくしてだんだん追っかけが多いですよね。ドタバタでね。
金満邸の主人が自分の金の像作って地下彫る、なんてバカバカしいでしょ。ああいう話に切り替えたんですね。ルパンもともとバカバカしい話多いけど。
だから”旧ルパン”はおおすみタッチと宮崎タッチの両方で一つなんですよ。両方に人気があるんですよね、不思議にね」


演出によって”ルパン”の描き方も変わって行く。正義感を持った男になり、コミカルな表現が増えていった。こうした路線変更にも関わらず視聴率は伸び悩み、1972年3月、23話をもって放送が打ち切りとなった。

しかし、その後夕方の再放送が繰り返され、若者の人気が高まっていった。

>(”再放送”で視聴率22%、アンビリーバブル!)

お: 「僕がTV局に行くと、僕が”ルパン”をやってたということを知らない人たちばっかりで再放送の”ルパン”の噂話をしているんですよ。”なんであんなに視聴率取れると思う?”。そこでみんなが挙げる(理由)がみんな全く同じなんです。
余計な説明してない・・・未だに新しさがある・・・だからね、これはなんという言葉で例えればいいのか、皮肉というか、達観しちゃいましたね!ああ、そんなもんだったのかって人生がバッ見えたみたいな。
結局、作品そのものは同じ評価を受けているわけです。いいの悪いも言われてないんです。視聴率が高いか低いかだけの評価なんです。評価する理由っていうのは作品と同じなんです。
これからも変わらないと思いますよ。そういう経験を自分がするっていうのはあまりしてないな・・・と。
視聴率の会議を今でもしてますけど、バカバカしいって思うことありますよね」


再放送でようやく人気が出たルパン。1977年セカンドシリーズが誕生し、最高視聴率30%以上を記録、155話、3年間続く大ヒットアニメとなった。
以後、劇場版・サードシリーズ、37年経った今でも新作が誕生している。

こうしてルパンは大人から子供まで世界中で愛される人気アニメとなった。

お: 「再放送を繰り返しているうち、”実は子供の頃観たんですよ”という人が現れ、ドキッとして、私が被告席に座ったような気持ちで聞いていると、結構みんなあの不良っぽい作品からいい感化を受けているんですよ。これは意外だった。それなりにやってよかったのか、っていう思いも出てきていますよね。
この仕事の辛いところは児童劇も同じですけど、子供相手に作った作品て言うのはその反響はまず分からないです、子供の声は聞こえないんです。大人の反論する声だけで。大人は子供ならこう思うんじゃないかな、という意見しか言えないわけです。子供の仕事やっている人間の覚悟しなくちゃいけないところなんです。
TVの再放送はつくづくあったほうがありがたいなと思います。当時観た”子供達の意見”が40代になって大人の言葉で感想を聞けるという・・・つまりそういうことなんですよ、40年かかるんですよ、意見聞けるまでに」



――アニメ・ルパン1stシリーズ。
37年前大人のアニメを目指し、情熱を傾けた若者が作り上げたこの作品。
アニメの新たな地平を切り開き地平を切り拓き、その後のアニメに影響を与えた傑作である。





☆::::::::::::::::::::::::::☆

以上で、書き起こしレビューは終わりです。おつかれさまでした!
[PR]
by peppermint_y | 2008-08-21 17:00 | comic | Comments(0)

昔のマンガやアニメに懐古中


by peppermint_y